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<論点>特例法による天皇退位 インタビュー 御厨貴・有識者会議座長代理

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=東京都世田谷区で、宮武祐希撮影 拡大
=東京都世田谷区で、宮武祐希撮影

 天皇陛下の退位をめぐる政府の「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」(座長・今井敬経団連名誉会長)が最終報告をまとめた。陛下がビデオメッセージでお気持ちを表明されてから8カ月余。なぜ特例法による退位に至ったのか。残る課題にどう取り組むか。会議の座長代理を務めた御厨貴東京大名誉教授に聞く。

憲法学者の専門知 「一代限り」後押し

--有識者会議の最終報告は、今の陛下に限って退位を可能とする特例法の整備を前提に、皇族数の減少を「先延ばしのできない課題」と位置づけました。力点を置いたのはどこですか。

 退位の問題を検討するうちに見えてきたのは、天皇制の存続が本当に危うくなっているということです。皇位を継承する方が極めて限られているうえに、皇族の数も多くはない。女性皇族が結婚して皇室から離れれば、数が減ることはあっても増えることはありません。我々の会議は「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」という名称です。政府から諮問された時は、女性宮家といった問題には踏み込まず、責任の範囲は退位までと言われていた。しかし、昨年10月から半年余り議論して、深刻な問題だという意識が今井敬座長をはじめ委員の間に共有されました。最終報告に何も示さないわけにはいかないだろうと。そこで皇族数減少の対策について書いたのです。

 しかも報告では「速やかに」という言葉を使ったんですね。それは現政権でやってほしいということ。退位問題にしても安倍晋三内閣という長期政権が支えたからできたのであって、今後も長期政権が出るかどうかは分からない。安倍政権が続いている間に、ぜひ着手してほしいという気持ちでした。今は退位問題をめぐり皇室への関心が高まっています。国民的な高揚感があるうちにやらないといけない。政権には、これでひと安心と思われると困ります。

--ただ、最終報告は「女性宮家の創設」などの具体策には触れませんでした。

 女性宮家の問題は国会で神経を使う議論になっています。自民党はそこに踏み込みたくない、民進党は1年をめどに結論を示すといった議論があった末に3月に衆参正副議長による議論のとりまとめが行われた。このとりまとめは仮置きといえるもので、5月からは法案の議論が始まる見通しです。女性宮家に言及すれば、国会の調整に影響するかもしれない。そう考え、皇族の減少に対応するという表現にしました。

--特例法により退位は一代限り認めるという報告に、結論ありきだったという批判があります。14回に及んだ会議を振り返り、どう自己評価しますか。

 私自身は天皇陛下が退位の意向を示しているというニュースが昨年7月に流れた時に、「高齢化という人道上の問題であって、時間のかかる方法を避けて特例法で対応すべきだ」と発言しました。その後、政府から同様の考えが示され、有識者会議に参加してほしいと言われた。特例法でいくのだろうという感じは持っていました。しかし、安倍首相らから直接、特例法と言われたことはありません。有識者会議の記者会見でも特例法という自説を述べたけれども、ここで一から勉強すると話しました。会議をやっているうち、特例法にする根拠にだんだん厚みが出てきたということです。

 一番大変だったのは昨年11月に3回行われた専門家へのヒアリングです。専門家16人の内訳は全体として「右」寄りになっていた。首相官邸の人選だから、僕らは異議を唱えませんでした。専門家の一部の方が退位に反対され、それが大きく報道されて、有識者会議は大丈夫かという議論が内外に起きたことは間違いない。退位反対が結構多いという流れになり、議論が行き詰まることを心配しました。だから僕は「メディアは何人対何人と報道するけれども、数の問題ではない、論理の運びが大事であって一概には決められない」ということを記者会見で強調しました。第3回ヒアリングで憲法学者らが専門知を生かした議論をしてくれたので、僕らはようやく息を吹き返した。ここが一つのヤマだったと思います。

--退位を認めるか認めないかというせめぎ合いがあったということですね。

 具体的には、摂政の問題でした。摂政を設ければ、わざわざ退位することはない。調べて分かったのは、本人の意識がなくなり、人事不省になった時には摂政を置けるけれども、意識がはっきりしている場合は置けないということです。だとすれば、皇室典範を改正して要件を改正すれば置けるという議論が導かれる。そこは退位を恒久制度化するという議論と、典範改正という点では共振します。共振はするが、正反対の議論です。典範を改正して要件を広げ、摂政を認めると退位しないことになり、典範を改正して退位を制度化すると、将来も退位が可能になる。ここが議論のしどころであって、特例法で一代限り認める方向が有力になる契機になりました。

 特例法なら今の陛下の状況などを法文に書き込み、恣意(しい)的な退位でないことを証明できる。何十年か先にまた退位の問題が起こった時の状況を、今から想定することは不可能です。そこは抽象化された文章にならざるを得ない。抽象的な要件だと、それにあてはまるか否かを誰が解釈するかということになり、恣意の要素が増えるのではないか。だから将来の議論はオープンにしておくべきだと。この結論に到達するまでがもう一つのヤマでした。

僕らは「常識者会議」 世間知を使い風穴

--一方、最終報告後は一代限りの退位が実現すれば先例化し、事実上の制度化につながるとも強調しています。

 有識者会議は、今年1月の論点整理の時に一代限りの特例法を推奨しました。僕らは、一代限りを柔軟に解釈しているということも実は言いたかった。一代限りでも次にことが起これば、みなが参照する。先例化され、何代かやっていけば制度化の方向にいく可能性もあります。制度化を全否定するものではない。一代限りと制度化とは対立するのでなく、同じ文脈にあることを指摘しようとしました。それをはっきり言えなかったのは、昨年12月から国会が動き始めたからです。国会としては、有識者会議に先走ってほしくないということがありましたから。最終報告にも先例になると書かなかったのは、今後の国会の議論を優先し、我々は少し前で止めておく配慮です。

--年明けから衆参両院の正副議長のもとで、各党・各会派の代表者が意見交換することになりました。当初は国会の動きを想定していなかったのですか。

 何しろ、前例のない初めての経験です。正直なところ、官邸も有識者会議も他を振り返る余裕はありませんでした。大島理森衆院議長は、与党はもとより野田佳彦民進党幹事長をはじめとする野党にも配慮しなければならず、議論は慎重の上にも慎重に、ということだったのでしょう。与党にすれば他の法案なら採決に持ち込めば済みますが、退位の案件だけは全会一致にしたい。そこで与野党調整を図りつつ、全会一致を大切にするプロセスが、有識者会議とは別に大きな幹としてありました。

--象徴天皇制が、今後どうあるべきかをもっと議論すべきだったという意見があります。御厨座長代理自身も、著書の中で戦争の記憶といった陛下の問題意識を取り上げ、慰霊の旅を行う姿を「祈る天皇」と評していました。

 有識者会議は、国会の調整がつくまで何も動かない約2カ月の「冬眠期間」がありました。論点整理は我々の議論の到達点だけれども、文章が整っておらず、このまま最終報告にはできない。これを書き換え、象徴天皇制はどうあるべきかといった議論をすることを、官邸はある程度予定していたと思います。ところが国会への説明に追われ、それができなくなってしまった。本来なら陛下が述べられた象徴としてのお務めに関して議論があってしかるべきでした。

--有識者会議の役割をどう思いますか。被害を最小限に抑える「減災」の理念を打ち出した東日本大震災復興構想会議の「復興への提言~悲惨のなかの希望~」などと比べ、今回の最終報告はメッセージ性に欠けるのでは。

 有識者会議なくして議論は進まなかったと思います。僕は、委員就任を頼まれたのが旧知の杉田和博・官房副長官だったから引き受けたところがあります。今井さんとは、小泉純一郎内閣の福田康夫官房長官が有識者懇談会「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」を主催した時に今井座長の下で委員としておつきあいをした仲です。座長に対する信頼感と副長官との人間関係が支えでした。

 最終報告は確かに官僚的な文章、「官邸文学」です。有識者会議の立ち位置や考えの筋道が明確でない部分は修正しました。委員の中にも、もう少し哲学的にという声はありました。ただ、今回は哲学や歴史を入れると異論反論を呼ぶ恐れがある。制度設計以外で足を引っ張られ、報告書を受け入れないということになるかもしれない。我々のポイントは一代限りという結論に持っていくことでした。退位後の天皇の称号を上皇とし、秋篠宮さまを皇嗣殿下などとお呼びするのは、どちらかというと法技術的な問題です。僕らは有識者会議というより「常識者会議」でした。専門知はヒアリングでもらい、世間知で判断して何とか風穴を開けたということです。【聞き手・岸俊光】


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 ■人物略歴

みくりや・たかし

 1951年、東京都生まれ。東京大法学部卒。現在、東京大名誉教授、放送大客員教授。専門は日本政治史。追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会委員、東日本大震災復興構想会議議長代理を務めた。著書に「天皇と政治」など。

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