

視覚障害者を取り巻く問題について毎日新聞大阪本社編集局は昨年1月からキャンペーン報道を続けている。取材班の柱である学芸部の遠藤哲也記者(45)はかつて知的障害を持つ娘が生まれたことで思いつめ、転職も考えたことがある。同僚という"身内"をここで取り上げることには異論もあろうが、「娘に障害があると知って泣いた私は間違っていました。今はハンディを背負った人たちを排除しない社会にしたいと思って記事を書き続けるつもりです」と話す彼の体験と思いを書かないわけにはいかない。
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「ちょっとビールでも飲むか」。昨年6月末、東京から大阪へ14年ぶりに赴任した私は学芸部の席にいる遠藤記者に声をかけた。梅雨入りした大阪は蒸し暑い。阪神梅田駅から特急で一つ目の尼崎へ向かった。阪神支局(兵庫県尼崎市内)で我々は90年代の初頭を過ごした。阪神電車の高架下には、もやしや牛の内臓を鉄鍋でいためる「てっちゃん鍋」の店がある。さっそく生ビールで乾杯した。「懐かしいですね」。そう話す彼の頭は、長めだった髪がごま塩の短髪に変わったが、控えめな物腰は相変わらずだった。

それから数日たった7月7日。私は夕刊紙面の責任者として当番に入った。大阪紙面の1面トップで扱った記事が、点字受験を門前払いした大阪市保育士採用試験のありかたを問う遠藤記者の原稿だった。全盲の小山田みきさん(31)は国家資格の保育士資格を持ち、私立保育園で8年の実務経験があるが、点字での受験を認められないため「障害を理由に、受験さえ認められないのは納得できない」と訴え、次の試験に挑もうとしている――という内容だ。仕草やにおいで園児を把握する小山田さんを描写したルポも社会面に掲載した。「遠藤が放った七夕のスクープ」。私は手応えを感じながらそう思った。
毎日新聞社は国内唯一の点字新聞「点字毎日」(週刊)を発行している。今年で創刊88年を迎え、あのヘレン・ケラーの視察を受けたこともある。点字毎日の編集部がある大阪本社では、「点字の父」と称される仏のルイ・ブライユの生誕200年に当たる昨年の1月から、視覚障害者の権利擁護の視点でキャンペーンを続けており、遠藤記者はその中心となって小山田さんの問題や、全盲の人の転落事故が絶えない駅ホームの危険性などを報じてきた。
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「最初は世の中を少しでもよくしたいと気負っていましたね」。89年に入社した遠藤記者は北陸総局(金沢市)と阪神支局で警察や司法を担当し、冤罪(えんざい)事件や在日朝鮮・韓国人の権利問題などを取材。93年春に京都支局に転勤し、翌94年1月、前任地で知り合った美奈子さん(41)と結婚し、その年末に長女の志織さん(15)が生まれた。その出来事を彼はコラムにこう書いている。
《生後1週間たっても目が開かなかった。赤ちゃんは目に光が入らない状態が続くと、視力が育たない。産院から娘を胸に抱いて、駆け込んだ大学病院の眼科。処置室から聞こえる娘の泣き声に、私は廊下で他の患者の目も気にせずに、おろおろと取り乱した。180㌢を超す男の泣き姿に、周りの人はさぞ困惑しただろう。娘はその後手術が成功し、光を得た。だが、発達の遅れが徐々に目立ち、知的障害があると1歳の誕生日前にわかった》(08年11月1日夕刊コラム「憂楽帳」より引用)

彼が1度だけ記者を辞めようかと悩んだのはこの時期だ。「家族と向き合える時間の多い仕事に変わった方がよいでしょうか」。主治医だった女性医師に相談した。「気持ちは分かります。でも、お父さんが転職しても、障害が軽くなったりはしないでしょう。記者を続けて、お母さんを精神面でも支えてください」と言われ、思いとどまった。そして彼はこう振り返る。
「障害のある人や家族のことを自分があまりにも知らなかったことに気付いたんです。自分自身はそれまで安全地帯にいて『世の中をよくしたい』と思っていた。頭でっかちで、なんて不遜(ふそん)だったか。知的障害を持つ娘の親になって初めて知らされました。それを機に、『自分の不安』を普遍化したいと考え、障害者の権利擁護のアプローチを心がけ、まず足もとのことから取材しようと思いました」
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97年秋、遠藤記者は神戸支局に転勤したのを機に、芦屋市に転居した。保育園、そして公立の小中学校に夫婦で送り迎えをし、障害児の家族会「輪になろう芦屋親の会」などの活動に夫婦で積極的に携わるなか、芦屋の街を「ハイカラでセレブといったメディアの印象とは違って、実は共生教育に熱心に取り組んでいる街だと感じた」という。
芦屋市障害者(児)福祉計画策定委員、同市地域福祉計画策定委員などを歴任しているが、これはマスコミ人だからと依頼されたのではなく、公募があったので一市民として作文を書いて応募して選ばれたものだ。「金持ちだけが笑う街にしたくない、という内容で一生懸命書きました」と話す遠藤記者のきまじめさに感心する。
彼は京都、神戸の両支局で地域面のデスクをしながら、福祉や医療の取材をライフワークとして続け、バリアフリーに関する連載企画を記事化。さらにこの10年間は学芸部で障害福祉関係のテーマで書いてきた。
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「いかにも遠藤らしい記事だな」。あの七夕のスクープ記事に目を通しながら、私の脳裏には彼がかつて書いた印象的な記事がよみがえった。
94年春、私は大阪社会部でDNAに関する取材班のキャップを任された。大阪の記者たちに、京都支局から遠藤記者が加わった。新婚間もない彼には「申し訳ない」と思いつつ、かなり働いてもらった。
人権問題に敏感な彼は、栃木県足利市で90年に女児が殺害された「足利事件」でDNA鑑定を根拠に1審で無期懲役の判決を受けた菅家利和さんの控訴審に着目した。その初公判で「鑑定は信用できない」と反論した弁護人、当時の鑑定担当者ら関係者を丹念に取材し、最先端の科学技術が「犯人」を突き止めることに疑義を投げかける記事《なお残る 0・25%の「落とし穴」》(94年5月9日付大阪社会面)を書いたのだ。

足利事件の再審開始が決定したのは、それから15年後(09年6月23日)のことである。遠藤記者の"七夕のスクープ"の約2週間前のことだ。菅家さんは今年3月に再審で無罪が確定したが、遠藤記者の着眼を私たち同僚はどう生かせたか、ほろ苦さが残る。
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「障害者問題への記者のこだわりが、あらゆる機会をとらえて紙面化されることで、視覚障害者の職場拡大など社会を動かした」。今年1月、遠藤記者は第14回新聞労連ジャーナリスト大賞優秀賞を受賞した。過去1年間の優れた記事・企画を表彰するもので、選考委員でルポライターの鎌田慧さんは授賞式で、遠藤記者が主導する点字キャンペーンの報道をこう評価した。
さらに3月には、関西を拠点にした優れた報道に贈る第17回坂田記念ジャーナリズム賞にも毎日新聞大阪本社編集局取材班の「点字の父・ブライユ生誕200年にちなんだ点字と視覚障害者に関する一連のキャンペーン」が選ばれた。
この受賞を記念して今月13日、毎日新聞大阪本社の社屋にあるオーバルホールで、シンポジウム「点字力が未来を拓く」が開催され、遠藤記者はパネリストとして、あの全盲の保育士、小山田みきさんらとともにディスカッションに参加した。

小山田さんが「園児たちの把握には、声、シャンプーの香りや仕草、手をつなぐ感触などを手がかりにしています。子どもは私を受け入れ、子どもなりの優しい行動をしてくれます」と語る様子を遠藤記者はうなずきながら聞いていた。
発言を求められると、「小山田さんの点字受験を求めた行動は、障害者の権利擁護という普遍性を持っている。その人権を守ることは、新聞ジャーナリズムの大切な役割です」と応じ、さらに「プラスイメージの障害観に基づいた報道をしていきたい」と力強く語った。
そんな姿を約400人の聴衆で埋まる会場で私は見つめていた。「自分の年齢を考えれば、同じ編集局で彼と働く日々はこの先、もうそんなに多くは残っていないだろうな」と感慨に浸りながら......。(編集局次長)

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