特集

第94回センバツ高校野球

第94回選抜高校野球大会(2022年)の特集サイトです。

特集一覧

選抜高校野球

監督23年の報徳学園・永田氏、最後の試合

  • ブックマーク
  • 保存
  • メール
  • 印刷
履正社に敗れ、グラウンドを後にする報徳学園の永田裕治監督=阪神甲子園球場で2017年3月30日、津村豊和撮影 拡大
履正社に敗れ、グラウンドを後にする報徳学園の永田裕治監督=阪神甲子園球場で2017年3月30日、津村豊和撮影

 ○履正社(大阪)6-4報徳学園(兵庫)●

 準決勝第1試合で履正社(大阪)に4-6で敗れた報徳学園(兵庫)の永田裕治監督(53)が23年間の監督生活にピリオドを打った。「全員野球」を掲げ続けた。「うまい下手は関係なく、仲間が一緒にプレーする野球を貫けてよかった」。就任翌年の1995年に阪神大震災が発生し、地元・兵庫県西宮市でも多くの市民が犠牲となった。直後のセンバツでの勝利は被災地に勇気をもたらした。

 報徳学園の選手として81年夏に全国優勝。「野球の楽しさを伝えるのが指導者の役割」と考え、ベンチ入りに関係なく同じ練習をさせた。一方で「栄冠をつかむ厳しさを教える必要もある」。厳しい指導で春夏計18回の甲子園出場を果たし、23勝。2002年センバツで優勝した。

 震災直後のセンバツについて「苦しい中で白球を追う姿に野球の原点を見た気がした」と振り返る。避難所生活を送る部員もいて、バイクで連絡のつかない生徒を探し回った。グラウンドはひび割れし、練習はできない。当時の主将、西嶋章行さん(39)は「野球の練習をしたら怒られるのではないかと思っていた」と話す。部員もボランティア活動に励み、練習再開は震災の約1カ月後だった。

 震災の年の第67回センバツには、兵庫から報徳学園を含む3校が出場。打撃練習さえできずに迎えた1回戦で逆転勝ちした。西嶋さんは「ものすごい声援で、みんなに勝たせてもらった」と話す。永田監督にとって監督として初の甲子園での勝利だった。全員野球への確信も深まった。

 「苦しい時はアルプスを見ろと言ってきた」と永田監督。3点を追う九回裏、アルプススタンドの応援は最後まで途絶えなかった。岡本蒼主将(3年)は「僕らはチーム力で勝ち上がってきた」と話す。後任の大角健二部長(36)も全員野球を受け継ぐと決めている。【石川勝義】

【時系列で見る】

関連記事

あわせて読みたい

最新写真

アクセスランキング

現在
昨日
SNS

スポニチのアクセスランキング

現在
昨日
1カ月