「盲天外(もうてんがい)」と号した森恒太郎(1864~1934)は、盲目となりながら故郷の旧余土村(現在の松山市の一部)の村長を務めた人物。「盲天外から学ぶ一粒米の会」をつくり、先人の歩みを伝えようと励む元会社員の今岡弘さん(68)=松山市市坪北1=に盲天外の功績や会の取り組みを聞いた。【中村敦茂】
--盲天外とはどんな人ですか
庄屋の家に生まれ、水害を受けた村の再建に尽力。村議や県議も務めましたが、活躍のさなかに失明します。失意に沈みますが、一粒の米でさえ煮られたり粉にひかれる苦難を経て血肉に進化すると悟り、奮起したといいます。余土村長に推薦された際には、盲目を理由に不認可とした県に対し、障害者への不平等を訴え認めさせました。村長としての先進的な農村改革でも知られます。
--県立松山盲学校、聾学校にもかかわりが?
村長辞職時に受け取った1000円の大半を私立の聾唖(ろうあ)学校の開校に充てました。同校が県に引き継がれ、松山盲学校、聾学校となりました。自らを犠牲にし社会に尽くす精神に強くひかれます。
--会を作ったのは
私も余土地区に住んでいますが、2年前まで盲天外を知りませんでした。周りも80歳代以上が知っている程度。「坂の上の雲」で秋山兄弟と正岡子規が注目されますが、同時代にもう一人スポットライトが当たるべき人物がいると思いました。
--取り組みを教えてください
郷土史家などを訪ね資料収集を進めてきました。遺族からは盲天外の自伝的著書『体験物語 我が村』を借りられ、300冊の復刻出版も果たせました。地元の公民館や飲食店に盲天外の紹介文を置いたりもしています。私自身は歴史に関心が深かったわけでもないのに不思議ですが、苦労は感じません。勉強中のインターネットで今後は全国発信もできればと考えています。
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1943年松山市生まれ。元酒類販売会社員。10年夏に県生涯学習センターの展示で盲天外(森恒太郎)を知り、郷土の先人の生き方に感銘を受けた。「盲天外から学ぶ一粒米の会」をつくり、盲天外関連の資料収集や地域への紹介活動を続けている。
毎日新聞 2012年1月28日 地方版
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